CAMPBELL, AKA SKYYWALKER, ET AL.


vs


ACUFF-ROSE MUSIC, Inc.

注:可能な場合には、本事件についてなされている如く裁判所意見の発表と同時に、判決要旨が公表される。判決要旨は裁判所の意見ではなく、読者の便宜のために判決書記が作成したものである。United States v. Detroit Lumber Co., U. S. 321, 337 を参照。

合衆国最高裁判所

判決要旨

CAMPBELL, AKA SKYYWALKER, ET AL.

v.

ACUFF-ROSE MUSIC, Inc.

合衆国第6巡回区控訴裁判所への事件記録移送命令

第92-1292 号

公判:1993年11月9日、判決:1994年3月7日

 被上訴人 Acuff-Rose Music, Inc. は、ラップ音楽のグループである 2 Live Crew のメンバーとそのレコード会社たる上訴人に対し、2 Live Crew の曲「Pretty Woman」が、Roy Orbisonのロック・バラード「Oh, Pretty Woman」に関する Acuff-Rose の著作権を侵害したと主張して、訴訟を提起した。
地方裁判所は、2 Live Crew の曲が原曲のフェアユースを構成するパロディであると判示して、2 Live Crew 勝訴のサマリ・ジャジメントを下した。1976年著作権法、17 U. S. C. §107 を参照。
控訴裁判所は、このパロディの商業的性質は第107条で問題とされる四つの要素の第1の要素に基づきアンフェアと推認される、原作の「核心」を取り出して新作品の「核心」とすることによって 2 Live Crewは第107条の第3の要素に基づき質的に過剰に奪取した、商業的利用に付随する推認によって第107条の第4の要素が目的とする市場の害が立証された、と判示して、地裁判決を破棄、差し戻した。

判旨: 2 Live Crew の商業的なパロディは、第107条にいうフェアユースとなり得る。


(a) 「批評(又は)解説…等を目的とする著作物のフェアユースは、…著作権侵害とはならない」と規定している第107条は、フェアユース判決のコモンローの伝統を引き継いでおり、明確な線引きによる原則(ブライト・ライン・ルール)ではなく、ケースバイケースの分析を必要とする。認められる利用についての法定の例示は、一般的な指針を与えているに過ぎない。法定の四つの要素は、科学と技術を促進するという著作権の目的に照らして全体的に検討され、考慮されなければならない。

(b) 他の批評や解説と同様、パロディも、フェアユースを主張することができる。第107条の四つの要素の第1の要素である「利用の目的及び性格(その利用が商業的であるかどうかの別を含む。)」に基づき、その検討は、新作品が単に原創作物の目的に取って代わるだけのものか、又は、それが新たな表現、意味、もしくはメッセージをもって原作品を変更する「変形的」なものか、及び、その程度に焦点を当てる。新作品が変形的であればあるほど、商業主義といったフェアユースの認定に不利に働く他の要素の重要性は少なくなる。パロディ制作者が、既存の素材からの引用を求める趣旨は、少なくとも部分的に先行著作者の作品を解説する新しい作品を創作するため、著作者の作品の構成要素を利用することである。しかし、このことは、裁判所がどこに線を引くかについての参考にはほとんどならない。従って、パロディーについても、他の利用と同様に、問題となる諸要素を一通り検討しなければならない。

(c) 控訴裁判所は、2 Live Crew の曲が原作品を解説し批評するパロディーを含んでいるということを正しく推認したけれども、Sony Corp. of America v. Universal City Studios, Inc. 判決(464 U. S. 417, 451)の「著作権のある素材の商業的利用は、いずれも…アンフェア…と推認される」をうわべだけ抜き出した推定を用いて、当該パロディの商業的性質に実際上決定的な重みを与えたという点で誤りを犯している。制定法は、作品の商業的性質が、その目的及び性格を検討する第1の要素の中の一つの構成要素にすぎないことを明確にしているし、Sony判決それ自体、動かしがたい証拠力を持つ推認を求めているわけではない。控訴裁判所の命令は、Sony判決及びフェアユース判決に関するコモンローの長い伝統に逆行するものである。

(d) 第107条の第2の要素である「著作物の性質」は、本件及びその他のパロディーの事件を解決するのにあまり役に立たない。なぜなら、パロディはほとんど例外なく、本件のOrbisonの曲と同様、一般に知られた表現作品をコピーしているからである。

(e) 控訴裁判所は、法律問題として、2 Live Crew がOrbisonの原曲から、第107条の第3の要素「原著作物全体との関連で利用された部分の量および実質性がコピーの目的のにとって合理的であるかどうかを尋ねる」、に基く過剰のコピーをしたと認定したことで、誤りを犯している。たとえ、2 Live Crew が原曲の歌詞の第1行目と特徴的な出だしの低音のリフをコピーしたことが、原曲の「核心」に及んだと言えるにしても、その核心はパロディ目的のために最も容易に原作品を彷彿とさせるものであって、パロディが狙いとするのはその核心部分なのである。更に、2 Live Crew は、その後、Orbisonの歌詞からはっきりと離れていき、別の形で特徴的な音楽を生み出している。歌詞に関しては、曲のパロディ目的との関係で、そのコピーは過剰ではない。音楽に関しては、当裁判所は、低音のリフの繰り返しが過剰なコピーであるかどうかの意見は表明しないが、その曲のパロディ目的と性格、その変形的要素、市場での代替可能性の考慮に照らして、取られた量を評価させるため、差戻すこととする。

(f) 控訴裁判所は、第107条の第4の要素「利用が著作物の潜在的市場又は価値に及ぼす影響」を解明するに当たり、Sony判決(supra, 451)に依拠して、 2 Live Crew による商業的利益のための利用に基づく重大な市場の害の可能性を推認したことにより、誤りを犯した。Sony判決に論拠を見いだす、市場の害の「推認」又は推論は、単なる商業的目的の複製以上のものを含む事件には妥当しない。審理されるべき害は、市場の横取りであって、批評による害ではない。純粋且つ単純なパロディについて言えば、作品が原作の代替品として機能する可能性は低い。二つの作品は通常、別個の市場機能を果しているからである。第4の要素は、裁判所に対して、二次的著作物の潜在的市場も検討するよう要求している。例えば、Harper & Row, at 568を参照。もし、後の作品が、保護され得る二次的著作物の市場に対して、審理されるべき代替効果を持っている場合、法は、その作品の批判以外の別の要素に目を向けるだろう。2 Live Crew の歌は、パロディであるばかりでなく、ラップ音楽でもある。パロディではない「Oh, Pretty Woman」のラップ版の二次的著作物に対する 2 Live Crew の曲の影響を取り扱った証拠や宣誓供述書がないので、2 Live Crew は、フェアユースの積極的抗弁の提出者として、サマリ・ジャジメントに対する資格を失った。

よって、972 F. 2d 1429を破棄、差戻す。

Souter判事が、全員一致の裁判所意見を言い渡した。Kennedy判事が、補足意見を提出した。

注: この裁判所意見については、合衆国判例集の予備印刷の段階で、刊行前の正式な改訂が行われる。読者の方々は、予備印刷が出版される前に修正できるように、タイプその他の形式的な誤りを、D. C. 20543 、ワシントンの合衆国最高裁判所書記まで知らせられたい。



合衆国最高裁判所

第92-1292 号

CAMPBELL, AKA SKYYWALKER, ET AL.

v.

ACUFF-ROSE MUSIC, Inc.

合衆国第6巡回区控訴裁判所への事件記録移送命令の令状に関して

〔1994年3月7日〕

Souter判事が、当裁判所の意見を言い渡した。

 当審は、Roy Orbisonの曲「Oh, Pretty Woman」に対する「2 Live Crew 」の商業的のパロディーが、1976年著作権法、17 U. S. C. §107 (1988 ed. and Supp.W)にいうフェアユースとなり得るかどうかについて決定するために招集された。地方裁判所は、「2 Live Crew 」勝訴のサマリ・ジャジメントを下したが、控訴裁判所は、フェアユースの抗弁はこの歌の商業的性格と過度のコピーによって妨げられるとして、これを破棄した。当審は、パロディーの商業的性格はフェアユースの審理において考量されるべき要素の一つにすぎず、かつ、コピーの程度を考量する際にパロディーの性質に十分な考慮が払われていなかったと判断し、破棄、差戻す。

T

1964年、Roy OrbisonとWilliam Deesは、「Oh, Pretty Woman」と呼ばれるロックバラードを制作し、その権利を上訴人 Acuff-Rose Music, Inc. に譲渡した。Appendix A, infra, at 26を参照。Acuff-Roseはこの曲を著作権保護のために登録した。

上訴人のLuther R. Campbell、Christopher Wongwon、Mark Ross、David Hobbsは、全体で、人気ラップ音楽グループ 2 Live Crew として知られていた(1)。1989年、Campbellは「Pretty Woman」という題の曲を書いたが、彼は後に宣誓供述書の中で「コミカルな歌詞を通じて、原作を皮肉る」つもりだったと述べている。App. to Pet. for Cert. 80a. 。1989年7月5日、2 Live Crew のマネージャーは、Acuff-Roseに対し、2 Live Crew が「Oh, Pretty Woman」のパロディーを書いたこと、原曲の所有権と著作権はすべて Acuff-Rose 、Dees、及びOrbisonにあることを彼らが認める用意があること、彼らが望む利用のため進んで料金を支払うつもりであることを告げた。その手紙には、歌詞のコピーと 2 Live Crewの曲の録音が同封されていた。Appendix B, infra, at 27を参照。Acuff-Roseの代理人は、「当方は、2 Live Crew が享受する成功を認識しているが、私共としては『Oh, Pretty Woman』のパロディーの使用を認めることはできないと申し上げなければなりません。」と述べて、許諾を拒絶した。App. to Pet. for Cert. 80a. それでも、2 Live Crew は、1989年6月又は7月(2)に、「As Clean As They Wanna Be 」という題名のアルバムで、「Pretty Woman」のレコード、カセットテープ、コンパクトディスクを発売した。このアルバムとコンパクトディスクには、「Pretty Woman」の著作者をOrbisonとDees、そして出版者を Acuff-Rose と記載している。

約1年後、25万枚近くの録音物を売った後に、Acuff-Roseは、2 Live Crew とそのレコード会社であるLuke Skyywalker Recordsを著作権侵害で訴えた。地方裁判所は、2 Live Crew の曲の商業目的はフェアユースの障害にはならないこと、2 Live Crew 版は、「オービソンの歌がどんなに個性がなく陳腐であるか」を示すため、予測可能な歌詞の代わりにショッキングな歌詞を入れて急速に言葉遊びに移って行くパロディーであること、2 Live Crew は原作を皮肉るためにそれを「彷彿とさせる」のに必要な程度しか取っていないこと、及び、2 Live Crewの曲が原作の市場に悪影響を及ぼす可能性は極めて低いこと を理由に、2 Live Crew 勝訴のサマリ・ジャジメントを下した(3) 。754 F. Supp. 1150, 1154-1155, 1157-1158(MD Tenn. 1991). 地方裁判所は、これらの要素を考量し、2 Live Crew の曲はOrbisonの原曲のフェアユースを構成すると判断したのである。Id., at 1158-1159.

第6巡回区控訴裁判所は、これを破棄、差戻した。972 F. 2d 1429, 1439 (1992). 控訴裁判所は、2 Live Crew の曲がOrbisonの原曲のパロディーであるということを裁判所意見の前提としたけれども、「商業的な使用はすべて、…アンフェアである…と推定される。」とするSony Corp. of America v. Universal City Studios, Inc. 判決(464 U. S. 417, 451(1984))の事実を地方裁判所が軽視し過ぎたと考えて、当該パロディーの「明白に商業的な性質」は、制定法の下で問題とされる四つの要素の第1番目がフェアユースの認定を妨げる方向で重要性を持つという「結論を求めるものである」と判示した。972 F. 2d, 1435, 1437. 更に、控訴裁判所は、「原作の核心を取り出して、新たな作品の核心にする」ことによって、2 Live Crew は、原作を質的に過剰に取っていると判断した。Id., at 1438. 最後に、原作の潜在的市場(及び二次的著作物の市場)への影響は、「疑いもなく、フェアユースの最も重要な要素」であるとしたHarper & Row, Publishers, Inc. v. Nation Enterprises判決(471 U. S. 539, 566 (1985))に言及した上で、控訴裁判所は、地方裁判所が「商業的利用に付随する推認によって、フェアユース分析における障害が立証されるという推認に追随することを拒否している」と非難した。972 F. 2d, at 1438-1439. 要するに、同裁判所は、その「臆面もない商業目的…は、当該パロディーがフェアユースとなることを妨げている」と結論づけたのである。Id., at 1439.

当審は、2 Live Crew の商業目的のパロディーがフェアユースとなりうるかどうかについて決定するため、事件記録移送命令、507 U. S.   (1993)を認めた。

U

パロディの形をとったフェアユースであるという認定がなければ、2 Live Crew の曲が、1976年著作権法、17 U. S. C. §106 (1988 ed. and Supp.W) に基づき、Acuff-Roseの「Oh, Pretty Woman」に対する権利侵害になることについては、本件では争いがない(4) 。著作権保護の黎明期から、「科学及び有用な芸術(Arts)の進歩を促進する」という著作権法の目的そのものを実現するために、著作物のフェアユースが一定の場合に認められる可能性が必要であると考えられてきた。U.S. Const. Art.T, §8, cl.8 (5) 。なぜなら、Story判事が説明したように、「実際のところ、文学においても、科学においても、又、芸術においても、観念的な意味で、厳格に、初めから終わりまで新しく、オリジナルであるものは、もしあったとしても、非常に少ない。文学、科学及び芸術の分野の本はいずれも、良く知られていて、前にも利用された沢山のものを借用しているし、必然的に借用し、使用しなければならない」からである。Emerson v. Davies, 8 F. Cas. 615, 619 (No. 4,436) (CCD Mas. 1845). 同様に、Ellenborough卿は、「私は、何人たりとも、著作権の享受を確保する義務があると考えているが、何人たりとも、科学にかせをはめてはならない。」と述べて、著作物を保護することと、他人がその上に構築することとを同時並行する必要性に本来的に備わっている緊張を表現した。Carey v. Kearsley, 4 Esp. 168, 170, 170 Eng. Rep. 679, 681(K. B. 1803).1710年のアン女王法(6) の下で提起された著作権事件において、英国の裁判所は、「フェアな要約」が、一定の状況下で著作者の権利を侵害しない場合があると判示した。W. Patry, The Fair Use Privilege in Copyright Law 6-17 (1985) (以下、Patry)、Leval, Toward a Fair Use Standard, 103 Harv. L. Rev. 1105, 1105 (1990)(以下、Leval)を参照。また、第1議会は後に知られるようになった(7) 「フェアユース」に明示的な言及をせずに、わが国の最初の著作権法である1790年5月31日法、1 Stat. 124 を制定したが、それにもかかわらず、その法理は米国裁判所によって認められた。

Folsom v. Marsh 事件で、Story判事は、それ以前の判例から、「なされた抜粋の性格と目的、利用された部分の量及び価値、利用が原著作物の販売を阻害し、利益を減じ、又は目的を無にする程度を検討せよ」という法の本質ならびに方法論を抽出した。 9 F. Cas. 342, 348 (No. 4,901)(CCD Mass. 1841). フェアユースは、このように表現されて、1976年著作権法が制定されるまでは、専ら裁判官によって作られた法理であった。次の通り、同著作権法には、Story判事によるまとめを認識することができる(8) 

第107条 排他的権利の制限:フェアユース

第106条及び106A条の規定にかかわらず、批評、解説、ニュース報道、授業(教室における利用のための多 数の複製を含む。)、研究、調査等を目的とする著作権のある著作物のフェアユース(複製物又はレコードへの複 製その他第106条に明記する手段によるフェアユースを含む。)は、著作権侵害とならない。特定の場合に著作 物の利用がフェアユースとなるかどうかを判定する場合には、次の要素を考慮すべきものとする。

(1)  利用の目的及び性格(使用が商業的であるか利益目的でない教育目的であるか、の別を含む。)

(2)  著作物の性質

(3)  原著作物全体との関連で、利用された部分の量及び実質性

(4)  利用が原著作物の潜在的市場又は価値に及ぼす影響

フェアユースの認定が上記のすべての要素を検討してなされるならば、著作物が未発行であるという事実自体は
フェアユースの認定を妨げない。 17 U. S. C. §107 (1988 ed. and Supp. W).

議会は、第107条を「フェアユースに対する現在の司法法理を、いかなる意味でも変更、限定、拡大することなく、言い換えるものである」と理解し、裁判所がフェアユースの判決のコモンローの伝統を引き継ぐことを意図した。H. R. Rep. No. 94-1476, p. 66(1976)(以下、House Report)、S. Rep. No. 94-473, p. 62(1975)(以下、Senate Report)。フェアユース法理は、このように、「時として、著作権法の厳格な適用により、法が促進しようとする創作性そのものを窒息させることになる場合、裁判所に、そのような厳格な適用を回避することを許し(かつ、求め)」ている。Stewart v. Abend, 495 U. S. 207, 236 (1990)(中の引用符は省略).

この制定法は、それが認める法理と同様、ケースバイケースの分析を要求しているため、この作業は、ブライト・ライン・ルールで簡素化されるべきものではない。Harper & Row, 471 U. S., at 560 、Sony, 464 U. S., at 448 n. 31、House Report, pp. 65-66 、Senate Report, pp. 62. 第101条にある通り、列挙された例が「例示的であって、限定的ではない」機能を持っていることを示すため、この条文の前文には、「含む」及び「等の」という語を使用している。 Harper & Row, supra, at 560を参照。このようにして、条文は、裁判所や議会が通例フェアユースであると認定してきた類のコピーについて一般的指針を規定しているに過ぎない(9) 。また、条文中の四つの要素は、それぞれ別々に取り扱われてはならない。著作権の目的に照らして、全ての要素が検討され、結果は総合的に考量されるべきものである。Leval 1110-1111; Patry & Perlmutter, Fair Use Misconstrued: Profit, Presumptions, and Parody, 11 Cardozo Arts & Ent. L. J. 667, 685-687(1993)(以下、Patry & Perlmutter) (10)を参照。

 フェアユースの検討の最初の要素は、「利用の目的及び性格(利用が商業的であるか利益目的でない教育目的であるか、の別を含む。)」である。§107(1). この要素は、Story判事が定めた「なされた抜粋の性質及び目的」を基礎として導き出された。Folsom v. Marsh, 9 F. Cas., at 348. ここでの検討は、利用が批評、解説又はニュース報道等のためであるかどうかを見るため、第107条の前文に挙げられた例を指針とする。§107 を参照。この調査の中心的な目的は、Story判事の言葉で言えば、新作品が単に原創作物の「目的にとって代わる」だけかどうか Folsom v. Marsh, supra, at 348; accord, Harper & Row, supra, at 562、あるいはそうではなく、最初の作品を新たな表現、意味又はメッセージで変更して、それ以上の目的又は別の性格を持つ何か新しいものを付加しているかを調べることである。すなわち、換言すれば、新たな作品が「変形的」であるかどうか、及びその程度を尋ねることである。Leval 1111. このような変形的利用が、フェアユースの認定にとって絶対に必要というわけではないが(Sony, supra, at 455, n. 40(11))、科学及び技術の促進という著作権の目的は、一般的に、変形的な作品の創作によって増進される。従って、フェアユースの法理が著作権の範囲内に存在空間を保証している核心にはこのような作品があり、e.g., Sony, supra, at 478-480(Blackmun判事の反対意見あり)、新たな作品が変形的であればあるほど、他の要素、例えばフェアユースの認定を妨げる方向で考慮される商業主義などの要素の重要性は低くなる。

当審が、パロディがフェアユースになりうるかどうかを検討したのはこれまでに一度しかなく、その時は意見が同数に分かれたため意見を発表しなかった。Benny v. Loew's Inc., 239 F. 2d 532(CA9 1956), aff'd sub nom. Columbia Broadcasting System, Inc. v. Loew's Inc., 356 U. S. 43(1958). ここでは、Acuff-Rose自体も否定していないように、パロディには変形的な価値を認められる資格があることが明白だと言えば十分であろう。パロディは表面上ユーモアの少ない形式の批評と同様、先行の作品に光をあてることによって、又、新たな作品を作る過程において、社会的な利益をもたらすことができるのである。従って、当審は、他の解説や批評と同様にパロディが第107条に基づくフェアユースを主張することができると判示した諸裁判所と同意見である。例えば、Fisher v. Dees, 794 F. 2d 432(CA9 1986) (「サニーが憂鬱な時」のパロディ「ソニーがシンナーを吸う時」は、フェアユースである。)、Elsmere Music, Inc. v. National Broadcasting Co., 482 F. Supp. 741 (SDNY), aff'd, 623 F. 2d 252 (CA2 1980)(「アイ・ラブ・ニューヨーク」のパロディで、「サタディ・ナイト・ライブ」の「アイ・ラブ・ソドム」は、フェアユースである。)を参照。又、House Report, p. 65 、Senate Report p. 61 (「作品の内容の一部のパロディへの使用」はフェアユースとなりうる。)も参照。

パロディの起源は、ギリシャ語のパロデイアの定義にあり、控訴裁判所のNelson判事の反対意見に、「別のものと並行して歌われる歌」として引用されている。972 F. 2d, at 1440, quoting 7 Encyclopedia Britannica 768(15th ed. 1975). 現代の辞書は、これに従って、パロディを「喜劇的な効果又は嘲笑のために、ある著者や作品の特徴的なスタイルを模倣してい る文学又は芸術作品」(12)、あるいは「 又は作者グループの中にある思考又は言い回しの 特徴的な繰り返しが、それをばかばかしく見せるような形で模倣されている散文又は韻文の作品」(13)として定義している。少なくとも部分的に、先行者の作品を解説する新たな作品を創造するために、その作者の作品のいくつかの要素を利用することは、著作権法の目的であり、この定義の要点であり、パロディ制作者が既存の作品から引用をおこなう権利の核心である。e.g., Fisher v. Dees, supra, at 437 、MCA, Inc. v. Wilson, 677 F. 2d 180, 185 (CA2 1981)を参照。もし、反対に、その解説に原作品の本質又はスタイルに対する批判的要素がなく、(著作権の)侵害を問われている者が単に、注意を引くため、又は、何か新鮮なものを作り上げる際の苦労を避けるために原作品を利用しているならば、他人の作品から借用する際の正当性の主張は(消滅しないまでも)減少し、商業性の程度というような他の要素が拡大する(14)。パロディは、何かを主張するため原作品を真似ることが必要なので、その犠牲者(又は犠牲者集団)の想像力から作られたものの利用を要求する資格を持つけれども、これに対し、風刺は、自身の足で立つことができるので、借用するという行為そのものにたいする正当な理由がなければならない(15)。Ibid.; Bisceglia, Parody and Copyright Protection: Turning the Balancing Act Into a Juggling Act, in ASCAP, Copyright Law Symposium, No. 34, p. 25 (1987) を参照。

パロディが一定の場合に合法性を主張できるという事実も、当然のことながら、パロディ制作者に対しても裁判官に対しても、どこに線を引くべきかについては、多くを語らない。批判の対象たる著作物を引用している書評と同様に、パロディはフェアユースになる場合もならない場合もあり、どんなパロディ的利用もフェアと推認されるという上訴人の主張は、どんなニュース報道向けの利用もフェアと推定されるべきであるという同様の希望的観測がうけいれられないのと同じように、法律上又は事実上の正当化理由にはならない。 Harper & Row, 471, U. S., at 561 を参照。同法は、パロディ制作者がその犠牲者より証拠上優位であるということを暗示していないし、パロディは社会がその創造的作品により皮肉られる時にはしばしば風刺に変化するという事実も、又、作品がパロディ的要素と非パロディ的要素の両方を含んでいる場合があるという事実も、パロディに有利な推定のために役立たないだろう。従って、パロディは、他の利用形態と同様に、問題となる要素をすべてクリアしなければならず、著作権法の目的に照らして、ケースバイケースで判断されなければならない。

現時点では、2 Live Crew の「Pretty woman」が、社会全体について何を言おうとしているにせよ、原作品を解説し批評するパロディを含んでいることを、地方裁判所が判示し、控訴裁判所はそれを前提とした。地方裁判所が述べているところによれば、2 Live Crewの歌詞は原曲の第1行目をコピーしているが、その後「予測可能な歌詞の代わりにショッキングな歌詞を入れて、急速に言葉遊びに移っていき、…それは、彼らにとってOrbisonの歌がどんなに個性がなく陳腐であるかを嘲笑的に示している。」754 F. Supp., at 1155.(脚注省略)控訴審で反対意見を述べているNelson判事は、2 Live Crew の歌は「白パンのような原曲を嘲笑する意図を明らかに持ち、」又「名前も知らない街娼との性的交渉は必ずしもロマンスに満ちたものでなく、その結末がこないとは限らないということを思い出させる。(数人いる)歌い手達は、鼻にかかった声のさびしい男と同じことを心に抱いているが、ここではワインと薔薇が暗示されていない」という同一の結論に達した。 972 F. 2d, at 1442.控訴審の多数派は、2 Live Crew の歌から原曲に対する批評を見分けることに困難を感じたが、意見ではある程度の批判が存在していることを前提においた。Id., at 1435-1436, and n.8.

当審は、2 Live Crew の歌の中に批判的要素を見いだすことに控訴審ほどの困難は感じない。但し、それを見い出したからといって、我々はその質を評価するという次の段階には踏みださない。パロディの防禦方法としてフェアユースの抗弁が提出された場合の最初の質問は、パロディ的性格が合理的に認識されるかどうかである(16)。それを超えて、パロディの趣味が良いか悪いかは、フェアユースの問題ではない。Holmes判事が説明しているように、「法律のためだけに訓練を受けた人間が、もっとも狭くわかりきった範囲の外にある、(作品の)価値の最終的判断者となるのは、危険な企てだろう。極端な場合には、天才の作品の一部が評価を得られないことになるに違いない。大衆がその著者の話す新たな言語を習得するまでは、それらの作品の新奇性そのものが、嫌悪の対象となる原因になるだろう。」Blistein v. Donaldson Lithographing Co., 188 U. S. 239, 251 (1903)(サーカスのポスターは著作権の保護を受ける)。Yankee Publishing Inc. v. News America Publishing, Inc., 809 F. Supp.267, 280 (SDNY 1992)(Leval判事)(「修正第1条の保護は、話が明確な者、冗談が面白い者、パロディが成功している者だけに適用されるのではない。」)(トレードマークの事件)と比較。

当審は、本件において、そのパロディ的要素に高い地位を与えないけれども、2 Live Crew の歌がある程度原曲を解説し、批評していることが合理的に認識され得ると言うのが公平であると考える。2 Live Crew は、空想が現実となった男のロマンチックな思いと、下品な嘲り、セックスに対する猥褻な欲望、そして父親の責任から解放された安堵のため息とを並置している。後の方の歌詞は、古い時代の原曲の純真性を解説し、街娼の生活の醜さとそれが意味する低劣な品性に目をつぶる感傷を拒絶するものとして解釈することができる。著者のパロディ形式の選択を、従来から変形的な作品としてフェアユースの保護を受ける資格を有していた他の形式の解説・批評から区別するのは、この引用と嘲笑の合体である(17)

ところが、控訴裁判所は、第1番目の要素の取扱いを実際上、一つの事実、即ち利用の商業的性質に限定することによって、2 Live Crew のフェアユースの主張に対する検討を直ちに終わらせてしまった。同裁判所は、それから、Sony判決をうわべだけ抜き出した「著作権のある素材の商業的利用はすべて…アンフェア…と推認される。」という推定を適用することによって、この事実の重要性を誇張した。Sony, 464 U. S., at 451. 当該パロディの商業的性質に実際上決定的な重みを与えたことで、控訴裁判所は誤りを犯している。

法律の文言は、作品の商業的又は非営利の教育的な目的が、その目的と性格に対する第1番目の要素の検討対象の一つにすぎないことを明確にしている。第107条 (1)は、商業的利用に言及する従属的な文節の初めに「…を含め」という語を使用しており、主となる節は「目的と性格」に対するもっと広い調査を意味している。Harper & Row判決の中で説明しているように、議会は、フェアユースと推認されるカテゴリーを限定することによって従来の検討の範囲を狭める試みを拒否し、裁判所が問題となる証拠の全領域に対して持っている従来の広い視野の幅を維持するように促しているのである。471 U. S., at 561; House Report, p. 66. 従って、利用が利益を目的としない教育的なものであるという事実だけでは著作権侵害の認定から隔離されることはなく、それは利用の商業的性格だけでフェアであるという認定が妨げられるわけではないことと同様である。もし、実際に、商業性がフェアであるとの認定を妨げる推定力を持っていたら、この推定は、ニュース報道・解説・批評・授業・研究・及び調査を含め、第107条の前文に列記されている例示的な利用の殆どすべてを飲み込んでしまうだろう。なぜなら、「この国では、これらの活動は、一般的に利益のために行われているからである。」Harper & Row, supra, at 592(Brennan判事の反対意見)。Samuel Johnsonが「間抜け以外には誰も、金のためでなければ書かなかった」と言う活字の世界から生じたように、このような原則が出来上がることを議会が意図していたはずはなく、このことはコモンローの判例からは推察できない。3 Boswell's Life of Johnson 19 (G. Hill ed. 1934).

Sony判決それ自体は、動かしがたい証拠力を持つ推認を求めているわけではない。そこでは、我々は、「利益の微妙な比較考量」の必要性を強調し、464 U. S., at 455 n.40、議会が「フェアユースに対して厳格で明白な線をひくアプローチを回避」したと記述し、id., at 449, n. 31、作品の商業的又は非営利の教育的な性格は「決定的なものではなく」、id., at 448-449 、むしろ「フェアユースの判定において他のものと共に考慮される」、id., at 449, n.32 (quoting House Report, p. 66) べき事実なのである、とも述べた。だから、控訴裁判所がSony判決から一文を取り出して、それ自体を原則に昇格させたのは、コモンローのフェアユース判決についての長い伝統と同様、Sony判決自体にも逆行するものなのである。むしろ、我々がHarper & Row判決の中で説明しているように、Sony判決は、「出版物が非営利に対峙する商業的なものであるという事実は、フェアユースの認定を妨げる傾向にある個々の要素である」という説明を支持する立場をとっている。471 U. S., at 562. そして、それに尽きるのである。又、そのような強い傾向は前後関係によって変わってくるという事実が、商業性を動かしがたい推定の根拠となる意義まで高めることに反対する更なる理由である。例えば、商品を広告するためのパロディの形での著作物の利用は、学校で生徒たちが一回だけ演じるというようなものは言うに及ばず、そのこと自体を目的とする売り物のパロディと比べても、フェアユースの最初の要素の検討の下で優遇される程度は低いだろう。generally Patry & Parlmutter 679-680; Fisher v. Dees, 794 F. 2d, at 437; Maxtone Graham v. Burtchael, 803 F. 2d 253, 1262 (CA 1986); Sega Enterprises Ltd. v. Accolade, Inc., 977 F. 2d 1510, 1522 (CA9 1992)を参照(18)

 制定法の第2の要素「著作物の性質」第107条 (2)は、Story判事の「利用された部分の価値」という表現を基礎としている。 Folsom v. Marsh, 9 F. Cas., at 348. この要素は、一部の作品が、他の作品よりも著作権保護の目的の核心部に近いところに位置し、さらに前者がコピーされた場合には、フェアユースの立証はより難しくなるという認識が必要とされる。e.g., Stewart v. Abend, 495 U. S., at 237-238(短編小説を事実に基づく作品と対比している)、Harper & Row, 471 U. S., at 563-564( 間もなく出版予定の回想録を発表済みの演説と対比している)、Sony, 464 U. S., at 455 n.40(映画をニュース報道と対比している)、Feist, 499 U. S., at 348-351(創造的作品を単なる実録物と対比している)、3 M. Nimmer & D. Nimmer, Nimmer on Copyright §13.05[A][2](1993)(以下、Nimmer)、Leval 1116を参照。当審は、一般に普及させることを目的としたOrbisonの原曲の創作的表現が、著作権保護の目的の中心部分に位置するということについて、地方裁判所及び控訴裁判所の両方と見解を同じくする。754 F. Supp., at 1155-1156; 972 F. 2d, at 1437. しかし、この事実は本件ではあまり役に立たないし、又、パロディをめぐる事件で、著作権を侵害している山羊から、フェアユースの羊を区別するのに役に立ちそうもない。なぜなら、パロディは、殆ど例外なく、一般的に知られた表現作品をコピーするものだからである。

 第3の要素は、「著作物全体との関連で、利用された部分の量及び実質性」第107条 (3)(又は、Story判事の言葉によれば「利用された部分の量と価値」、Folsom v. Marsh, supra, at 348. )が、コピーの目的に関連して合理的であるかどうかを問うている。ここではなされた特定のコピーについてのパロディ制作者の弁明の説得力が考慮されるが、それを検討することは、条文の第1の要素に戻って耳を傾けることであろう。先の判例にあるように、当審は、許されるコピーの程度は、その利用の目的と性格によって異なると認識しているからである。e.g., Sony, 464 U. S., at 449-450(作品全体の複製は、テレビ番組の家庭用ビデオの作成に関しては、通常「フェアユースの認定に不利に作用するという効果を有しない」)、Harper & Row, 471 U. S., at 564 (発表済みの作品の批評や演説の新聞記事においては、相当な引用であってもフェアユースとして適格になり得るが、近く出版予定の回想録のスクープ記事においてはあてはまらない)。この要素に関係する事実は、パロディがどの程度、原作品や使用許諾を受ける可能性のある二次的著作物の市場の代替物となり得るかを明らかにすることによって、第4の要素にも関わる傾向がある。Leval 1123を参照。

地方裁判所は、2 Live Crew が過剰な利用をしていないと認定するに当たり、その歌のパロディ目的を考慮に入れている。754 F. Supp., at 1156-1157. 控訴裁判所は、「必要な部分だけしか利用されていないと認定することは不適切ではないかもしれないが、このコピーは、質的な観点からは実質的なものである…。当審は、原作品の核心を取り出して、新たの作品の核心にすることは、原作品の本質のかなりの部分を盗用することであるとの結論に達する。」と述べて意見を異にした。972 F. 2d, at 1438.

この要素が、利用された部分の量についてだけでなく、質や重要性についての考慮も必要とするという点に関しては、もちろん、控訴裁判所は正しい。例えば、Harper & Row事件では、NationはFord大統領の回想録からたった 300語程度を使用したにすぎないが、当審は、それらが「その本の核心部分」、ニュース性があり連続出版を許可する際に重要性を持つ可能性が最も高い部分になると認定して、引用の重大性を示した。471 U. S., at 564-566, 568(中の引用符は省略)。当審は更に、「著作権を侵害している作品の重要部分が」原作品から「逐語的にコピーされている」かどうかが問題となるという点でも控訴裁判所に同意する。id., at 565 を参照。なぜならそのことは、第1の要素に基づく変形的な性格や目的の欠如、或いは、第4の要素に基づく市場の損害の高い可能性を現していることになるからである。あまり追加や変更が加えられずに、原作品、特にその核心部分から主に構成されているような作品は、原作に対する需要を満たし、単なる横取りの利用であるという可能性が高くなる。

当審が控裁と意見を異にするのは、これらの指針をパロディ、特に当審に提示された歌のパロディに適用する点である。パロディは難しい事例を提示する。パロディのユーモア、又はともかくもその解説は、常に、歪められた模倣という手段によってその目的物をそれとわかるように仄めかすことから生ずる。その技巧は、有名な原作とパロディであるもう一方の作品との間の緊張関係の中にある。パロディがある特定の原作に狙いをつけた時、そのパロディは、少なくともその批判的なウィットの対象が認識されるに十分な程度に、その原作を「仄めかす」ことができなければならない。e.g., Elsmere Music, 623 F. 2d, at 253, n. 1、Fisher v. Dees, 794 F. 2d, at 438-439 を参照。この認識に役立つのは、パロディ制作者が視聴者が知っているだろうと確信できる、原作の最も特徴的な又は覚えやすい部分を引用することである。原作を確実に認識するに十分なものが利用されたとして、それ以上にどこまでが合理的であるかは、その歌の最も重要な目的と性格がどの程度まで原作をパロディ化することにあるのか、あるいは反対に、パロディが原作の市場の代替物となる可能性がどの程度あるのかに依拠するであろう。しかしながら、ある程度の特徴的な部分の利用は避けられない。

当審は、控訴裁判所が、2 Live Crew による利用を法律問題として合理的でないと判断した際、パロディが原作を認識しうる映像や音を必要とするということについての評価が不十分であったと考える。勿論、2 Live Crew が原作の特徴的な出だしの低音のリフ(又は音楽的フレーズ)をコピーしたことは真実であり、1行目の歌詞がOrbisonの歌詞をコピーしていることも事実である。しかし、もし、出だしのリフと1行目の引用が、原作の「核心」に至ると言えるとしても、その核心は、パロディのために最も容易にその歌を思い起こさせるものでもあり、パロディが狙いを定めるのはその核心なのである。コピーは、単に利用された部分が原作の核心部分であったという理由だけでは、パロディ目的に関連して過剰だということにはならない。もし、2 Live Crew が、原作のもっと覚えにくい部分をコピーしていたら、そのパロディ的側面がどのようにして実現されたかを想像することは困難である。Fisher v. Dees, 794 F. 2d, at 439 を参照。

当然のことながら、このことは、パロディ制作者を自称する者が誰でも、クリームをすくい取り代金を支払わずに逃げることができるということを意味するのではない。パロディにおいてはニュース報道と同様、Harper & Row, supra,参照、前後関係が非常に重要であり、フェアであるかどうかは、原作の核心に及んだという以外にパロディ制作者が何をしたかが問題となる。2 Live Crew が原作の1行目をコピーしただけでなく、その後、自分自身の目的に向かってOrbisonの歌詞からはっきりと離れていったことは重要である。2 Live Crew は低音のリフをコピーし、それを繰り返したばかりでなく(19)、「きしむ」ような音を間に入れたり、曲にキーの異なるソロをかぶせたり、ドラムのビートを変えたりして、別の形の特徴的な音楽を作ったのである。754 F. Supp., at 1155 を参照。したがって、この事例は、パロディそれ自体の「重要な部分」が原作の「逐語どおりの」コピーで構成されているのではない。即ち、これは、パロディがコピーに比べて内容がないので、第3の要素が、法律問題としてパロディ制作者に不利に解決されなければならないような事例ではない。

 歌詞については、当審は、控訴裁判所が「必要な部分だけしか利用していない」972 F. 2d, at 1438、と正しく言及したと考えるが、まさにその理由によって、当審は、たとえ利用された部分が原作の“核心”であったとしても、パロディ目的に関して、コピーがどうして過剰となり得るかが理解できないと言えば、ここでは十分だろう。音楽については、当審は、低音のリフの繰り返しが過剰なコピーであるかどうかについて意見を表明せず、この歌のパロディ的な目的や性格、その変形的な要素、及び、以下により詳しく説明されている市場での代替の可能性を考慮して、利用された量を評価することができるように差戻す事とする。

 フェアユースの第4の要素は、「著作物の潜在的市場又は価値に対する利用の影響」である。§107(4). それは、裁判所が、侵害者であるとされている者の特定の行為によって引き起こされた市場の害の程度ばかりでなく、「被告が従事する限定されない広範囲の種類の行為が…」原作の「潜在的市場への重大な悪影響をもたらすかどうか」も検討することを裁判所に要求している。Nimmer§13.05[A][4], p. 13−102.61(脚注省略) accord Harper & Row, 471 U. S., at 569; Senate Report, p. 65; Folsom v. Marsh, 9 F. Cas., at 349. 検討は「原作に対する被害ばかりでなく、二次的著作物の市場に対する被害も考慮しなければならない。」Harper & Row, supra, at 568.

フェアユースは、積極的抗弁であるから(20)、それを提出する者は、問題となる市場について有利な証拠がなければ、フェアユースの挙証責任の負担という不利益を被る(21)。サマリ・ジャジメントを求める行為において、2 Live Crew が、ラップの二次的著作物の市場についての影響を問題とすることを怠り、原曲に対する市場へ影響を与える可能性がないという異論のない主張だけに限定した時、彼らはそういう不利益の中に自分達を放置したのである。しかし、彼らは、それによって控訴裁判所が適用した証拠上の推定に服従したわけではない。重大な市場の被害の可能性を査定する際に、控訴裁判所は、Sony判決の文言から、「意図された利用が商業的な利益を得るためであるなら、その可能性が推定できるだろう。しかし、もしそれが非営利的な目的のためのものであるなら、可能性が立証されなければならない。」972 F. 2d, at 1438, quoting Sony, 464 U. S., at 451. 同裁判所は、「著作物の利用が全体として商業的であり…当審は、Acuff-Roseに対する将来的な被害の可能性が存在すると推定する。」と論じたのである。972 F. 2d, at 1438. そうすることにより、同裁判所は、ちょうど第1の要素を分析したのと同様に、商業的利用の効果についての推定を適用することによって、第4の要素を 2 Live Crew に不利に分析したが、その推定はここに適用されるものとしては誤りであると当審は判断する。

Sony判決に根拠を見いだす市場の被害の「推定」又は推論は、商業目的のための単なる複製を超える何かを含んでいる事件には適用できない。Sony事件の推定の議論は、商業目的のために原作を完全な形で正確にコピーするという状況を、Sony事件そのものの非営利的な状況(テレビ番組の家庭内複製)と対比している。前者の状況では、Sony判決が述べたことは常識にすぎない。即ち、商業的な利用が、原作の全体の単なる複製ということになれば、それは明らかに、原作の「目標を横取りし」Folsom v. Marsh, 9 F. Cas., at 348、原作に対する市場の代替物の役割を果たして、原作の市場への認識可能な被害が生ずる可能性を生む。Sony, 464 U. S., at 451. しかし、反対に、二度目の利用が変形的な場合は、市場での代替は少なくともそれよりは不確かであり、市場の被害をそれほど容易に推論できない。実際、純粋且つ単純なパロディについては、新たな作品は、この要素に基づき問題となる形、即ち、原作に対する代替品としては(その「目標を横取りする」ことによっては)、その市場に影響を与えることはないだろう。Leval 1125; Patry & Parlmutter 692, 697-698 を参照。パロディと原作は通常異なる市場機能を果しているからである。Bisceglia, ASCAP, Copyright Law Symposium, No. 34, p. 23.

勿論、当審はパロディが全く市場を害することはないと示唆しているのではないけれども、痛烈な劇評のような致命的なパロディが原作の需要を失わせる場合、それは著作権法の下で問題となる被害を生み出しているのではない。なぜなら「パロディは、極めて合法的に、原作の首を絞め、芸術的にばかりか商業的にも原作を破滅させることを狙えるからである。」B. Kaplan, An Unhurried View of Copyright 69 (1967) 、裁判所の役割は、「(単に)需要を抑制する辛辣な批評とそれを横領する著作権侵害とを区別することである。」 Fisher v. Dees, 794 F. 2d at 438.

救済可能な代替と救済不可能な追放の間のこのような区別は、批判に対しては、保護すべき二次的市場がないという原則に反映されている。潜在的な二次的利用に対する市場は、原作品の創作者が、一般的に、作成する又は他人に作成を許可するようなものだけを含む。しかし、想像的な作品の創作者が自分の作品に対する批判的な論評や皮肉に許可を与える可能性はないので、そのような形の利用は潜在的な許諾の市場の概念から排除される。「人々は批判を請う、しかし賞賛のみを欲する。」 S. Maugham, Of Human Bondage 241 (Penguin ed. 1992). 従って、控裁の意見が「Oh, Pretty Woman」のパロディ市場への被害を検討したと読める限りでは、同裁判所は誤りを犯している。972 F. 2d, at 1439を参照。同旨、Fisher v. Dees, 794 F. 2d, at 437; Leval 1125; Patry & Parlmutter 688−691 (22)

なぜ法律が、パロディも含めた批評的作品に対する二次的市場を認めていないかを説明する際に、当審は、パロディについて、あたかもそれが批判的視点しか持っていないかのように述べてきた(即ち、前頁の「純粋かつ単純なパロディ」)。しかし、この種の作品はもっと複雑な性質を持ち、批評の分野にばかりでなく、二次的作品に対する保護すべき市場にも影響を与えることがあり得る。そのような場合、法律は、ここでするように、批判の範囲を超えた、作品の別の要素を検討する。2 Live Crew の歌は、パロディであるだけでなく、ラップ音楽でもあり、ラップ音楽に対する二次的市場は検討対象として適切である。Harper & Row, 471 U. S., at 568; Nimmer §13.05[B]を参照。二次的作品に対する許諾は原作の創造を促す重要な経済的誘因であるから、それに対する重大な被害の証拠は、フェアユースの認定を妨げる方向で考慮されるだろう(23)。 17 U. S. C.§106 (2) (著作権者は二次的著作物についての権利を有する)を参照。当然のことながら、二次的作品に対する被害で、我々が関心を持つ必要があるのは、上で論じた通り、市場での代替という被害だけである。パロディがその批評的解説の効果そのものによって、二次的利用に対する市場に害を与えるかもしれないという事実が、著作権の下では問題とならないのは、原作品の市場に対する同様の脅威が問題とならないのと同じことである(24)

2 Live Crew は、原作の市場に対する害の問題について、異論のない宣誓供述書を提出したが、彼らも、又、Acuff-Roseも、2 Live Crew のパロディ的なラップ調の歌がパロディでない「Oh, Pretty Woman」のラップ版の市場に与えたかもしれない影響を問題とする証拠や宣誓供述書を提示しなかった。そして、Acuff-Rose は、2 Live Crew が「Oh, Pretty Woman」のラップパロディを録音し、別のラップのグループがラップの二次的作品を録音する許諾を求めたという事実において、当審にラップ市場の確証を得させたけれども、潜在的なラップ市場が、2 Live Crew のラップ版パロディにより、何らかの被害を受けたという証拠はない。2 Live Crew のパロディが、ラップの歌のコレクションの一部として売られていたという事実は、曲だけにせよ、歌詞のついた歌にせよ、原作のラップ版の市場にパロディが与えた影響について、ほとんど何も語ってはいない。地方裁判所は、Acuff-Roseが、「みずからの望む、原作のどのような別版でも」自由に録音できると述べて、この論点に判断を下し、754 F. Supp., at 1158 、控訴裁判所は誤った推定によって別の道に進んだ。いずれの扱いにも反するが、フェアユースに関する重要な要素について言及していない記録により、抗弁の提出者である 2 Live Crewはサマリ・ジャジメントへ対して有している権利を失うことを認める場合を除き、第4の要素を処理することはできない。証拠の穴は、恐らく、差戻しで埋められるだろう。

V

 

控訴裁判所が、2 Live Crew の「Oh, Pretty Woman」のパロディの商業的性質が、そのパロディをアンフェアなものと推認させると結論づけたのは、誤りであった。パロディのような変形的な使用がフェアであるかどうかを判定するに際しては、第1の要素である利用の性格と目的を問題にするにも、第4の要素である市場の被害を問題とするにも、こうした証拠上の推定を利用することはできない。同裁判所は、又、利用のパロディ目的を考慮して、2 Live Crew がOrbisonの原曲から過剰にコピーをしたと判示した点でも誤っている。従って、当審は、控訴裁判所の判決を破棄し、本意見に合致する更なる審理がなされるように差し戻すものである。

以上の如く命令する。
  


注:

(1)  ラップとは、「リズミカルな伴奏に合わせて演奏される、即興のリズムからなるアメリカ黒人のポピュラー音楽の一様式」として定義されてきた。The Norton/Grove Concise Encycropedia of Music 613(1988). 2 Live Crew は、「バス・ミュージック」、即ち、フロリダ州マイアミのリバティシティを起源とする地域的なヒップホップスタイルのラップを歌っているグループである。Brief for Petitioners 34.

(2)  時期については、両当事者間に争いがある。2 Live Crew はアルバムが7月15日に発売されたと主張し、地方裁判所はそのように判示した。754 F. Supp. 1150, 1152 (MD Tenn. 1991). 控訴裁判所は、Campbellの宣誓供述書が発売日を6月としていると述べ、その日を選択した。972 F. 2d 1429, 1432(CA6 1992). 当審は、その要請の時期はこの検討の目的に関係がないと認定する。善意について論じている後述の注18を参照。

(3)  2 Live Crew の却下の申立ては、サマリ・ジャジメントの申立てに変更された。Acuff-Roseは、その申立てに対して抗弁したが、反対申立ては提出しなかった。

(4)  第106条は、次のように規定している(抜粋)。
「第107条から第120条までの規定に従うことを条件として、次のことを行い又は許諾する排他的権利を有する。 
(1) 著作物を複製物又はレコードに複製すること。 
(2) 著作物を基礎として二次的著作物を作成すること
(3) 著作物の複製物又はレコードを販売その他の所有権の移転又は貸与によって公衆に頒布すること。」

二次的著作物とは、「翻訳、編曲、脚色、小説化、映画化、録音、美術複製、抄録、要約その他著作物を改作し、変形し又は翻案することができる形式等既存の一又は二以上の著作物を基礎として作成される著作物をいう。…改訂、注釈、改良その他の変形からなる著作物であって、全体として独創的な著作物を成すものを含む。」17 U. S. C. §101.

2 Live Crew は、その編曲が原曲の「基本的な旋律又は基礎的な性格」を変更しているので第115条に基づく強制許諾を得る資格がないことを認めている。§115(a)(2).

(5)  著作権の保護から事実やアイデアを除外することも、同様にその目標に役立っている。以下を参照。§102(b)(「いずれの場合にも、著作物に対する著作権の保護は、着想・手順・工程・方式・操作方法・概念・原理又は発見…には及ばない。」); Feist Publications v. Rural Telephone Service Co., 499 U. S. 340, 359 (1991)(「既存の作品に含まれている事実は、自由にコピーすることができる」); Harper & Row, Publishers, Inc. v. Nation Enterprises, 471 U. S. 539, 547 (1985)(著作権者の権利は、事実とアイデア、及びフェアユースを除外している)。

(6)  学問の振興のための法律、8 Anne, ch. 19.

(7)  Patry 27, citing Lawrence v. Dana, 15 F. Cas. 26, 60(No. 8, 136)(CCD Mass. 1869).

(8)  Leval 1105. フェアユース法理の発展の歴史的な解説については、Patry 1-64を参照。

(9)  Senate Report, p. 62(「第107条の最初の文に利用されている利用が具体的な場合にフェアユースであるか否かは、決定力のある要素の適用に左右されるだろう。」)を参照。

(10) フェアユースの検討は、パロディ(又はその他の批評的作品)が関係する事件で、しばしば、許される借用の範囲について、判断するには詳細な論点を必要とするので、裁判所は、「啓蒙書の創作と出版を促進する」Leval 1134 という著作権法の目標は、パロディ制作者がフェアユースの限界を超えたということがわかった時点で自動的に差止め救済を認めることにより常に最も良く達成されるというわけではないことを、心に止めて起きたいと望むかもしれない。以下を参照。17 U. S. C. §502(a)(裁判所は「侵害を阻止又は制限するために、合理的と考えられる条件で、差し止め命令を与えることができる」)(強調は付加); Leval 1132(「殆どの場合、[ 差し止めの] 救済策が正当化される。なぜなら、大半の侵害は単純な海賊行為だからである。」そのようなケースは「フェアユースの合理的な主張を生み出している所とは別の世界」である。フェアユースが合理的に主張されるところでは、「二次的作品の発行に際し、多大な公衆の利益が存在し、著作権者の利益は、どんな侵害が認定されても、それに対する損害賠償の付与によって適切に保護されるだろう。”); Abend v. MCA, Inc., 863 F. 2d 1465、1479(CA9 1988)(被告に対する「多大の不正」と「公共の被害」を引き起こす「特別の事情」が発行の差止めであると認定している); aff'd sub nom. Stewert v. Abend, 495 U. S. 207 (1990).

(11) このような変形的な利用に対する着目の制定法上の明白な例外としては、教室で配布するために修正無しで多量のコピーを複写することがある。

(12) The American Heritage Dictionary 1317 (3d ed. 1992).

(13) 11 The Oxford English Dictionary 247 (2d ed. 1989).

(14) ここで説明されているパロディよりももっと緩やかな形で原作を標的としているパロディでも、我々の分析の範囲内に入るに十分な場合があるだろう。市場における広範な普及によって、原作又は許諾された二次的作品(後述、第4の要素の討論を参照)の代替物となる危険を有しているパロディの場合、フェアユースを主張する者が変形の程度と原作に対する批判的な関係を立証する義務は重くなるだろう。それに比べて、変形の範囲が広いとか、新作が市場に出回っていないとか、原作からの借用がわずかであるとか、或いはその他のいかなる理由にせよ、市場での代替の危険がない又は少ない場合、原作をパロディの標的とすることについて、分析の要素としての重要性が低くなり、緩やかな形態のパロディもフェアユースと認められることになるだろう。同様に、本来必要とされているより借用の正当化理由の少ない風刺でも、フェアユースと認められる可能性がある。

(15) 風刺は、「その中で、社会に蔓延する愚行や悪徳が嘲笑によって攻撃されている、」14 The Oxford English Dictionary 500 (2d ed. 1989) 、又は「皮肉、嘲り、又はウィットを通じて攻撃されている」The American Heritage Dictionary 1604 (3d ed. 1992) 作品と定義されてきた。

(16) 実際、裁判所が作品に与えるそれ以上の唯一の判断は、パロディ的要素が大きいかどうか、パロディ要素に比してコピーが少ないか多いかを評価することになるだろう。パロディ的要素が少なく、コピーが広範な作品は、単に、原作の「目的を横取りする」可能性が高いだろう。後述、第3と第4の要素を討論している  ぺージを参照。

(17) 因みに、2 Live Crew は、フェアユースの保護を主張するために、そのアルバム全体、又はこの歌さえも、パロディであると明示する必要はないし、これがその最初のパロディの試みであることから、2 Live Crew が不利に扱われるべきでもないことを注記しておく。パロディは、明示されると否とにかかわらず、その目的に役立つのであって、パロディに明白な表示を要求する理由もない。Patry & Purlmutter, 716-717 を参照。

(18) 結局、侵害者とされている者の心理にどれだけのウェートを置くかにかかわらず、Harper & Row, 471 U. S., 562(フェアユースは善意と構成な行為を前提としている)(引用符省略)と、Folsom v. Marsh, 9 F. Cas., at 342, 349 (No. 4, 901)(CCD Mass. 1841)(善意は侵害の認定の障害とならない)、Leval 1126-1127(善意はフェアユース分析に関係ない)を比較して、当審は、2 Live Crew が原作の使用許諾を求めたことが、フェアユースの認定を妨げる方向で考慮されるべきだとする Acuff-Rose の主張を否認する。たとえ、善意がフェアユースの中心にあっても、2 Live Crew の行為は、彼らが自分達の作品がフェアユースでないと信じていたことを必ずしも示唆していない。その申し出は、単にこの訴訟を避けるための善意の努力でなされたものだっただろう。もし、利用がその他の点でフェアであるなら、許可が求められ、又は与えられる必要はない。従って、作品の使用許諾を拒絶されたことは、フェアユースの認定を妨げる方向で考慮されない。Fisher v. Dees, 794 F. 2d 432, 437 (CA9 1986)を参照。

(19) 一人の証人が述べているように、これは、パロディのコミック的効果を高めるのに役立つか又は、Acuff-Rose が現在主張しているように、原曲で感嘆させるのに役立つだろう。 App. 32a, Affidavit of Oscar Brand 、又はElsmere Music, Inc. v. National Broadcasting Co., 482 F. Supp. 741, 747 (SDNY 1980)(「アイ・ラブ・ソドム」の複製)も参照。

(20) Harper & Row, 471 U. S., at 561; H. R. Rep. No. 102-836, p. 3, n. 3(1992).

(21) 有利な証拠があっても、それだけではフェアの保証にはならない。レバル判事は、ある作曲者の当時は無名であった歌を盗用し、その歌を商業的に成功させた映画製作者の例を挙げている。その歌に対する恩恵により、単なるコピーはフェアユースにはならない。Leval 1124, n. 84. この要素は他の三つと同様、「利益の微妙なバランス」によってのみ検討されることができる。Sony, 464 U. S., at 455, n. 40. 市場の被害は、程度問題であって、この要素の重要性は、被害の量ばかりでなく、他の要素に関する事実の相対的な強さによっても変わってくるだろう。

(22) 当審は、原作への解説や批評をせずに、風刺や娯楽の手段として原作の要素を利用している作品の二次的市場について意見を表明しない。

(23) Nimmer§13.05[A][4], p. 13-102.61(「潜在市場に対する実質的な悪影響」); Leval 1125(「相当程度に実質的な」被害); Patry & Perlmutter 697-698(同)を参照。

(24) 場合によっては、被害がどこから生じているのかを判定するのが難しいだろう。そのような場合、フェアユースの他の要素が、被害の源と思われるものの証拠をもたらすかもしれない。全体的な目的と性格がパロディで、そのパロディに関連してその借用がわずかである作品は、パロディ的内容があまりなく、コピーした分量が多い作品より、認識できる被害を引き起こす可能性がずっと低いだろう。


第92-1292 号−APPENDIX

CAMPBELL v. ACUFF-ROSE MUSIC, Inc.


Appendix A

Roy OrbisonとWilliam Deesによる「Oh, Pretty Woman」

Pretty Woman, walking down the street,

Pretty Woman, the kind I like to meet,

Pretty Woman, I don't believe you

you're not the truth,

No one could look as good as you Mercy

Pretty Woman, won't you pardon me,

Pretty Woman, I couldn't help but see,

Pretty Woman, that you look lovely as can be

Are you lonely just like me?

Pretty Woman, stop a while,

Pretty Woman, talk a while,

Pretty Woman give your smile to me

Pretty Woman, yeah, yeah, yeah

Pretty Woman, look my way,

Pretty Woman, say you'll stay with me

‘Cause I need you, I'll treat you right

Come to me baby, Be mine tonight

Pretty Woman, don't walk on by,

Pretty Woman, don't make me cry,

Pretty Woman, don't walk away,

Hey, O. K.

If that's the way it must be, O. K.

I guess I'll go on home, it's late

There'll be tomorrow night, but wait!

What do I see

Is she walking back to me?

Yeah, she's walking back to me!

Oh, Pretty Woman


第92-1292 号−APPENDIX

CAMPBELL v. ACUFF-ROSE MUSIC, Inc.

Appendix B

2 Live Crew が録音した「Pretty Woman」

Pretty Woman walkin' down the street,

Pretty Woman girl you look so sweet

Pretty Woman you bring me down to that knee

Pretty Woman you make me wanna beg please

Oh, pretty woman

Big hairy woman you need to shave that stuff

Big hairy woman you know I bet it's tough

Big hairy woman all that hair it ain't legit

‘Cause you look like‘Cousin It'

Big hairy woman

Bald headed woman girl your hair won't grow

Bald headed woman you got a teeny weeny afro

Bald headed woman you know your hair could look nice

Bald headed woman first you got to roll it with rice

Bald headed woman here, let me get this hunk of biz for ya

Ya know what I'm saying you look better than rice a roni

Oh bald headed woman

Big hairy woman come on in

And don't forget your bald headed friend

Hey pretty woman let the boys

Jump in

Two timin' woman girl you know you ain't right

Two timin' woman you's out with my boy last night

Two timin' woman that takes a load off my mind

Two timin' woman now I know the baby ain't mine

Oh, two timin' woman

Oh pretty woman


合衆国最高裁判所

第92-1292 号

CAMPBELL, AKA SKYYWALKER, ET AL.

v.

ACUFF-ROSE MUSIC, Inc.

合衆国第6巡回区控訴裁判所への事件記録移送命令

Kennedy判事の補足意見

私は、差戻しが適切であることに同意し、裁判所の意見に参加し、パロディのフェアユース分析に関して以下の補足的な見解を有する。

著作権法、17 U. S. C. §107(1988 ed. and Supp.W) のフェアユースに関する条文で採用されたコモンロー方式は、判決に至る過程から原則が明らかになることを前提としている。私は、パロディに関してフェアユースの例外を定義するにあたってある種の一般原則が、現在、認識できることを認める。その原則の一つは、裁判所が述べているように、パロディはその発表や実演が利益のためであるかどうかにかかわらず、フェアユースとなる資格があるということである。Ante, at 22.

 もう一つの原則は、パロディは、それが原作について面白い又は皮肉な解説をするために、その作品を基にして引き出されたものである場合にのみ、フェアユースの適格性を持つということである。Ante, at 10. どんなにそのユーモアが創作的なものであっても、ユーモアに満ちた形で原作を利用するだけでは不十分なのである。パロディは原作を標的としていなければならず、単にその一般的なスタイル、原作が属する芸術上のジャンル、又は全体としての社会だけを標的としているのでは足りない(但し、パロディが原作を標的としていれば、それらを同時に標的としていても構わない)。以下を参照。Rogers v. Koons, 960 F. 2d 301, 310(CA2 1992)(「風刺は、コピーされた作品についてだけのものである必要はなく、現代社会のパロディであっても…良いが、少なくとも部分的にはコピーされた作品がパロディの目的でなければならない。」)、Fisher v. Dees, 794 F. 2d 432, 436 (CA9 1986)(「ユーモアのある又は皮肉な作品は、コピーされた作品が少なくとも部分的に当該作品の標的となっている場合にのみ、フェアユースの法理の下で保護に値する。」)この前提要件は、フェアユースの保護を、主題がまさにオリジナルな創作であって、そこからある程度借用することを必要としている作品に限定する。以下を参照。MCA, Inc. v. Wilson, 677 F. 2d 180, 185(CA2 1981)(「もし著作権のある歌が、最低でも部分的にパロディの目的となっていないならば、それを思い出させる必要はない。」)、Bisceglia, Parody and Copyright Protection: Turning the Balancing Act Into a Juggling Act, in ASCAP, Copyright Law Symposium, No. 34, pp. 23-29(1987) 。それは又、自分の作品を批評から隠してしまいたい著作権者達から許諾を与えられないだろうとの恐れを抱かせる理由のある作品を保護している。以下を参照。Fisher, supra, at 437(「合理的な許諾料と引換えであっても、許諾を与えるに十分な程自尊心が強いことは滅多にない。」)、Posner, When is Parody Fair Use?, 21 J. Legal Studies 67, 73 (1992)(「パロディ化される作品がパロディ制作者の批評の標的となる場合、一つの障害がある。その作品の批評を抑圧することは、著作権者の個人的な関心事であって、社会的な関心事ではないからである。」)(強調は省略)。

もしパロディの定義をこの範囲内に保つならば、当審は第107条に記載されたフェアユースの検査基準の四つの要素を満たす道程の大半を終えたことになる。第1の要素(利用の目的と性格)はそれ自体、パロディの定義に関係する。第2の要素(著作物の性質)は「パロディは殆ど常に一般的に知られた表現作品をコピーする」から、第1の要素に付け加えるものは殆どない。Ante, at 17. 第3の要素(全体との関連における利用された部分の量及び実質性)も同様に、パロディの定義の中に包含されている。著作権侵害を主張されているパロディが過剰な利用をしたかどうかを判定するには、パロディの標的がその検討の内容であるものとなる。一部のパロディは、その性質からかなりの複製を必要とするだろう。Elsmere Music, Inc. v. National Broadcasting Co., 9623 F. 2d 252 (CA2 1980) (「サタデイ・ナイト・ライブ」の「アイ・ラブ・ソドム」の寸劇は「アイ・ラブ・ニューヨーク」キャンペーンの合法的なパロディであると判示)を参照。それ以外のパロディ、例えばルイス・キャロルの「ユー・アー・オールド、ファーザー ウィリアム」のようなものは、原作の一部だけを必要とする。第3の要素は、裁判所が、誰かの歌にくだらない言葉をいくつか付け加えたり、馴染み深い作品の登場人物を新奇な又は風変わりなポーズで出したりすることしかしていない不当利得者に、フェアユースの保護を与えるべきではないという原理を強調しているのである。例えば、Walt Disney Productions v. Air Pirates, 581 F. 2d 751 (CA9 1978)、DC Comics Inc. v. Unlimited Monkey Business, Inc., 598 F. Supp. 110(ND Ga. 1984)を参照。しかし、裁判所も認識している通りante, at 18-20、それは決して機械的に適用される検査基準ではない。私の見解では、それは事実上、目的とする要件を満たしていることを確認するために役立つのである。

第4の要素(著作物の市場に対する利用の影響)に関しては、裁判所は、パロディがその批評の効果によって原作に対する需要を抑圧することは合法的であると認めている。Ante, 22-23. してはならないことは、その代替的効果によって需要を横取りすることなのである。Ibid. 勿論、裁判所にとって、市場に対する被害が、パロディの批評としての効果の結果なのか、代替的効果の結果なのかを判定するのは、難しいことだろう。しかしここでも、もし当審がパロディの定義を適切な範囲内に保つならば、これを検討することはあまり重要なことではないのかもしれない。ある作品が、ユーモア又は皮肉の効果を目的に、別の作品を標的にする場合、それは定義上、新たな創作物である。創作物は、たとえその訴える内容に重複があっても、別の創作物と同一の市場で競争することができる。このように第 4 の要素は、パロディが実際に独立の創作物であることを確認する重要性を強調しているのである。そして、それが、パロディがなぜ「パロディ制作者の独自の見方を反映している、原作に対する批評的な解説をし、それによってその娯楽的な機能を超えた社会的な価値をパロディに与える」ことが必要なのかの理由である。Metro-Goldwyn-Mayer, Inc. v. Showcase Atlanta Cooperative Productions, Inc., 479 F. Supp. 351, 357(ND Ga. 1979).

このように、フェアユースの要素は、パロディの定義を適切な限界内に保つことの重要性を高めている。一見パロディと見えるものをフェアユースとみなすためには、パロディたる内実が議論の余地を残さないようなものでなければならない。フェアユースは積極的抗弁であるから、問題の利用がフェアであるかどうかについての疑いは、パロディ制作者と自称する者に有利に解決されてはならない。音楽家達が既存の作品を不当に利用し、後で自分達の脚色が原作に対する価値ある批評であったと主張することを容易にするべきではない。良く知られている作品の現代の改訂版の殆どは、スタイルが違うから、そして、古いメロディーが新しいジャンルでどのような音になるのかを聞くことは楽しいだろうから、「原作の素朴さに対する解説」と解釈することができるante, at 13 。ベートーベンの第5交響曲又は「ブレイク・ハート」のラップ版を考えてみるだけで、人々はきっと笑い出すはずだ。しかし、もし、当審が変形的要素の弱いものを、パロディとして資格ありと認めたら、当審は著作権の保護を弱めることになる。そして著作権の不十分な保護は、過剰な保護と同様に創造を促す財政的な誘因を縮減することによって、著作権の目的を妨害することになるだろう。

裁判所は、「2 Live Crew の歌は、ある程度、原作を解説し、又はそれを批評していると合理的に認識できると言うのが公平である」と判断しているante, at 13 (フェアユースの最初の要素を適用)。私は、2 Live Crew の歌が正統なパロディであるということについて確信を持っていないが、残りの要素に対する裁判所の取扱いは、地方裁判所が差戻しに基づいて、この歌がフェアユースでないと判定する余地を残している。今後の裁判所が当審のフェアユース分析を適用する際には、単なる商業的な風刺が、パロディとして正当化されることのないように注意しなければならない。

私は、以上の見解をもって、裁判所の意見に賛同する。