今や「データ」は産業活動にとって大きな意味を持っている。
IDCの予測によると、2027年までに生成・複製・消費等されるデータ量は、291ZB(ゼッタバイト、10の21乗)とされている。日本流の?の言い方をすれば2.91𥝱…億、兆、京、垓の次。こんな単位は殆ど見かけない。ちなみに漢字変換で出てこない。宇宙の星の数は、惑星も含めると600ZB個と推定されるという(銀河系に2000億の恒星、3000億の同様の銀河、1恒星に10個の惑星と想定)。まさに天文学的だ。ちょっとピンとこないので、他の例を探してみる。ひとりの人間の総細胞数を37兆個とすると、日本の総人口1.24億人の総細胞数は4.58ZB個、世界の総人口80.45億人の総細胞数は298ZB個となって、これに近い(計算間違いがあればご容赦)。いずれにせよ膨大だ。
ちょっと古いが、A.トフラーの「第三の波」では、「・・・文明が多様化し、技術、エネルギー形態、大衆が細分化するにつれて、全体を一つに保つためには構成部分の間により多くの情報が流れなければならない。・・・その結果、人間も組織もより多くの情報を求め続け、体系全体がデータの激流によって脈動するようになる。・・・」「第三の波の文明にとってもっとも基本的な資源、しかも決して尽きることのない資源は、情報であり・・・」と書かれていた<徳岡孝夫他訳1982 中公文庫>。トフラーは、情報とデータをシノニムとして使っている。確かに、データは情報をコンピュータ処理ができるようにしたものと理解できる。まさに現在、40年以上前にトフラーが予言したように、我々はデータの激流に身を委ねている。
そのような激流において、データの法的保護というのは、どうあったらよいのか。データ保護を巡る動きをSOFTIC連続講座第14回でお話します。