さて、前々の続きである。
報道を通じて知る、例えば某国の独裁大統領がその国民に向けて発する戦争の動機は真実を伝えているのか、某国の元大統領支持者が信じているという陰謀論の説く内容は真実なのか、どこやらの国のどこやらの党の議員が所謂裏金問題で述べていた事は真実なのか。多くの報道は、大統領らが口にしたという事そのものを事実として伝えているだろうが、報道にバイアスがかかる可能性(事実を伝えないこともある)もあるし、伝えられる内容の方も真実とは限らない。ややこしい・・。
自然科学で追求された真理とまでなればもはやそれ自体を信ずるしかないが、事実、実物、現物などで自らが検証した結果を以て、真実性を判断するのが本来は真っ当なのだろう。自らそうした検証をしていないものを真実だと考えるかは、結局のところ諸般の事情に照らしての聞き手の価値判断によるということだろう。信じるか、信じないか。信じ込まされるか、時には信じ込まされたフリをして自分を納得させるか・・・。
冒頭の三つの例はいずれも私には虚しく響く。皆、真実ではない事を言っていると思う。それでもそれらを真実だと思う人は、結局は「信ずる者は救われる」(聖書)ということかな・・フェイクを真実だと信じて詐欺被害に遭う方は救われないのだが。私も真実だと信じてしまっている事、信じ込まされている事も勿論多々あるだろうし、真実だと信じられずに救われず、やり場のない怒りや諦めを抱える事も多い。 <まだ続く>