こうしたものは習慣化しないと疎遠になってしまう。前の投稿から1か月が経ってしまった。いくつか並行して進む業務の合間にポカっと空隙が訪れるが、そうした時にはブログ更新をしようという思いはある。思いはあるが、さて、何を書こうかと考えているうちに業務に戻る羽目になる。普段から興味をあちこちに向けて、少ない知識の動員と多大な調査を踏まえて、少し発酵させるという時間が要る。感度が落ちていると実感するのは、自分が生きるこの宇宙、世界への興味が薄れてきているのではないかということだ。興味を向ければ、書けるのかはともかくとして書きたいことも現れるだろうに、その余裕がない。2歳の孫とほぼ2日間を一緒に過ごしたが、もの凄いエネルギーだった。食べているときと寝ているとき以外、常に動き回って多方面に興味を向ける。還暦過ぎてそのような人もあまりいないだろうが、少しあやかりたいと思った。さて、前置(言い訳)が長くなってしまったが、かくのごとくあまりマトモに時間を割いていないので、時事ネタを。
トランプ劇場は、期待?通りに進行している。日本の政治よりも話題にし易いのは、余所の国のことで何の反省もなく観劇するだけで済むからか。ただ、最近、「ばっかじゃないの」と言うだけでは済まずに、いや待てよと、様々な勘繰りを入れたくなった(暇なのかなあ)。不謹慎だが、観劇者としてちょっと面白がっている。印象深いのが、航空機の衝突事故の際のDEI批判。そしてDEI政策が惹き起こしたことが「常識だ」と言ってのけた。また予め分かっていたことだが、昔に戻ったかのような諸方への関税賦課という脅しなど・・・。
やっぱり変な輩というだけなのか。分断された国民の一方のウケを取るポピュリズムのなせる業だけなのか。前政権との違いを強調するためだけなのか。交渉のテーブルに着かせるためのブラフで、相手が交渉に乗ってこなくても得られる果実はあるという戦術か。
振り回される当事者や国・地域は、たまったものではないが、意外なことが起きて驚かせられる。例えば関税問題では、米が保守主義に走る一方で、国連安保理での中国・王毅外相の「多国間主義が重要」という演説。中国がそのように実際に振舞っているのかは別として、またそのように標榜することが国益にかなうという判断だろうが、中国要人が口にするというだけで時代は変わったと改めて実感させられた。
そしてウクライナやガザの悲劇への対応。発するメッセージには同じようにまず困惑させられる。ウクライナ戦争については、侵略による力任せの現状変更は許すべきではないとか、民主主義を守るべきだといったこととは無縁に、とにかく戦争を止めるというのが、ノーベル平和賞を狙っているとも噂される人には最大の達成目標なのだろうとも思わされるが、欧州の資金やコミットメントを引き出すということにもなりそう。ロシア側に立つような、反面ウクライナに酷い仕打ちをするような態度は、相手を交渉のテーブルに着かせるためのブラフなのか。ともかくもプーチンを交渉のテーブルに着かせつつあることは確か。さてどうなるのか。交渉の末にロシアの梯子を外すというシナリオまで用意してはいないだろうかと勘繰ってしまう。そうなると水戸黄門みたいだ(笑)。ただ、相手を掌の上で転がしているのはトランプか、プーチンか(「ばっかじゃないの」だけでないことを期待するのはそもそも愚かなことかもしれない)。