某国のyes man達は期待通り(期待を裏切って欲しいと思う部分もあるが)色々なことをしでかしますね・・・・。忘れて頂いていいのだが、自らの存在証明の一つとしてほぼ月1ペースながら寄稿を。
さて。早いもので、もうゴールデンウィークが間近となった。今年も3分の1が終わろうとしていることに少し愕然とする。新しい知識の吸収をしなくなった馬齢は重ねるのが早い。こうした感覚だけでなく、物理的?にも、この前、桜が咲いて春がやってきたと思っていたら、それからひと月足らずでもう初夏。桜餅に未練を残しつつ、そろそろ柏餅だ(笑)。
江戸時代の神田界隈を舞台にした小説で、隣の家の生垣から卯の花(おからではありません、念のため)を拝借して活けたとか、ホトトギスの声を聞きに江戸市中のいずれに出かけようかといった描写が出てきた。作家の想像が創り出している情景ではあるが、卯の花とホトトギスは、初夏を描写する代表的な風物だ。時代考証に裏打ちされていることだろう、昔は江戸の真ん中でも、生垣に空木(ウツギ)が植えられていて、真っ白な花を楽しみ、また香りを楽しめ、また「テッペンカケタカ」を聞けて、季節を感じることができたのだろう。SOFTICは愛宕山下なので、この辺りもそうした風物に当たり前に触れることができたに違いない。高層ビルの迫るここも長閑だったことだろう。
小説でシーンを思い浮かべたのと同時に、童謡「夏は来ぬ」が頭の中を巡って、その後、暫く頭の中で響き続けた。調べてみると1896年に発表された由。明治の中頃は、江戸時代とあまり変わらなかったのだろうが、この歌を覚えた小学校時代(昭和中後期)には少し違和感を覚えていたのは確かだ。ホトトギスの「忍び音」など聞いたことはなかった(渡り鳥なので、都会であっても、どこかで飛んでいるらしいのだが)。この歌の題名を聞いて歌詞が浮かぶのは果たしてどの年代までだろう。ましてこの歌の情景を思い浮かべられる子供など、特に都会にはいないのではないか。今さらながらこの200年ばかりの東京の姿の移ろいに思いが向いた。
自分の生活圏では、生垣は見かけなくなった(鉄のフェンスにバラを這わせているお宅はあるが)。生垣は手入れが大変だろうし、身の隠せるような生垣は今時だと却って物騒かもしれないので、少なくなるのは仕方がないことなのだろう。随分前に高尾山で、なるほどこれが「卯の花」が「匂う」ということかと得心したことがあったが、生垣ではないにせよ空木の姿すら見かけない。聞こえる鳴き声は雀、カラス、ヒヨドリ、鳩といったところか。あまり季節を感じない(10年ほど前に近所の公園で、ナント鶯のさえずりが聞こえて驚いたことがあった。話は変わるが、雀が減っているということも耳にした。確かに、最近の自宅周辺では木々が少なくなったためもあろうが、雀のお宿を見かけなくなった。フン害は嫌だがいなくなるとそれはそれで淋しい。)。
ホトトギスの「忍び音」を聞けるかどうかは分からないが、新緑に包まれに、またフィトンチッドを浴びに、都心を離れて清々しい山々に出かけたくなった。同時に、あと三月もすると猛暑かと思い至り、少々憂鬱になった。