判決:1997年11月12日
バージニア州東部地区アレキサンドリア連邦地方裁判所よりの控訴
裁判官:WILKINSON裁判長,RUSSELL控訴裁判所裁判官,BOYLEノース・カロライナ州東部地区連邦地方裁判所首席裁判官、指名による。
WILKINSON裁判長:
Kenneth ZeranはAmerica Online, Inc.(以下「AOL」)を相手取って本訴訟を提起して、AOLが氏名不詳の第三者によって投稿された名誉毀損的メッセージ撤去にあたり不当に遅延し、同メッセージの削除文の投稿を拒否し、その後同様の投稿の選別を怠った、と主張した。地方裁判所はAOLを勝訴させたが、その理由は1996年通信品位法(Communication Decency Act of 1996)(以下「CDA」)--47 U.S.C.§230--によって、Zeranの請求は認められないということであった。Zeranは控訴して、230条はそのサービスを通じて投稿された名誉毀損的マテリアルを認識する、双方向的コンピュータ・サービス・プロバイダーの責任に変更を加えてはいないと主張した。彼はまた、230条は本件には適用がない、何故なら彼の請求はCDAの制定以前と主張されるAOLの過失より生じたからである、と主張する。しかしながら230条は、AOLのようなコンピュータ・サービス・プロバイダーの、第三者が発する情報に対する責任を明白に免除している。さらに連邦議会は、230条がCDA制定後提起されたZeranのような訴えに適用すべしとする意図を、明瞭に表明した。よって、当裁判所は地方裁判所の判決を支持する。
翌4月26日、氏名不詳の人物がオクラホマ・シティー爆破事件に関する新しい悪趣味なスローガンをつけたシャツをさらに広告するメッセージをまたも投稿した。今度も、買いたい人はZeranの電話番号に掛けて、「Ken」を呼び出し、注文殺到のため「お話し中なら、掛け直して下さい」とのことであった。立腹した脅迫的電話が激しくなった。続く4日間に亘って、氏名不詳人はAOL掲示板にメッセージの投稿を続け、一段と不愉快なスローガンをつけた、バンパー・ステッカーやキー・ホルダーを含む品物をさらに加えて広告した。この期間中Zeranは繰り返しAOLに電話したが、社員らにそのメッセージが投稿されている個人のアカウントは間もなく閉鎖されると告げられた。Zeranはまた、この事件をシアトルのFBIエイジェントに報告した。4月30日までにZeranは、ほとんど2分毎に1回罵倒の電話を受けた。その間にオクラホマ・シティーのラジオ局KRXOのアナウンサーは、最初のAOLへの投稿を1通受取った。5月1日同アナウンサーはメッセージの内容を放送し、それはZeranの電話番号の「Ken」がしたのだといって、聴取者にその番号に電話せよと促した。この放送後Zeranは、洪水のような殺すという脅迫、その他乱暴な電話をオクラホマ・シティーの住民から受けた。
その後数日間に亘りZeranはKRXOおよびAOLの社員の双方と話をした。彼はまた地元の警察にも話し、警察はその後彼の安全を守るために自宅を監視した。5月14日までに、オクラホマ・シティーの新聞はシャツの広告が悪ふざけだと暴露する記事を載せ、KRXOが陳謝の放送をした後、Zeranの自宅への電話の数はとうとう1日15回に減った。Zeranはまず1996年1月4日、オクラホマ州西部地区連邦地方裁判所に、ラジオ局KRXOを相手取って出訴した。1996年4月23日、彼は同じ裁判所にAOLを相手取って別の本件の出訴をした。Zeranはその不快なメッセージを投稿した者を相手として訴訟を提起しなかった。[注1]。AOLを相手取ったZeranの訴訟が、28 U.S.C.1404(a)条によってバージニア州東部地区へ移送された後、AOLはZeranの訴えに答弁し、積極的抗弁として47 U.S.C. 230条を挙げた。その上でAOLは、連邦民事訴訟規則12(c)により、訴答に基づく判決を求める申立をした。地方裁判所はAOLの申立を認め、Zeranはこの控訴を提起した。
230条の関係箇所は次の通りである。
この制定法上の免責の目的を認めることは困難ではない。連邦議会は、新しく急速に発展するインターネットという媒体における言論の自由に対して、不法行為に基づく訴訟が与える脅威を認めた。他人の通信に対してサービス・プロバイダーに不法行為責任を課すことは、連邦議会にとって、言論への政府による規制の押しつけの一形態を加えるにすぎないと見えた。230条は、一部にはインターネット通信の健全な性質を維持するために、従って、その媒体への政府の干渉を最小限に保つために、制定された。同制定法の特定的解釈において、連邦議会はインターネットおよび双方向的コンピュータ・サービス業を「真に多様な政治的議論、文化的発展のユニークな機会、および知的活動への無数の道のための討論の場」を提供するものと認めた。同上。§230(a)(3)。連邦議会はまた、インターネットおよび双方向的コンピュータ・サービス業は「最小限の政府の規制をもって、すべてのアメリカ人のために繁栄してきた」と認めた。同上。§230(a)(4)(強調追加)。連邦議会はさらに、「連邦または州の規制に束縛されないで、現在インターネットおよび双方向的コンピュータ・サービス業のために存在する、活気にあふれ、かつ競争的な自由市場を維持することが…合衆国の政策である」と述べた。同上。§230(b)(2)(強調追加)。
もちろん以上で、名誉毀損的メッセージを投稿した原有責当事者が責任を免れることにはならない。連邦議会はインターネットへの政府の規制を最小限に保つように立法したけれども、議会はまた「コンピュータを用いた猥褻、ストーキング、嫌がらせの不正取引を抑止し、処罰するために連邦刑事法の確実かつ断固たる執行」も合衆国の政策であることを認めた。同上。§230(b)(5)。しかしながら連邦議会は、有害なオンライン言論を抑止するために、他の当事者による有害になるかもしれないメッセージの仲介者の役をした会社に、不法行為責任を課すという別のルートを用いない政策決定をしたのである。
連邦議会が230条の免責を定めた目的は、このように明らかであった。双方向的コンピュータ・サービス業は何百万というユーザーを持っている。参照、Reno v. ACLU, 117 S. Ct. at 2334(地方裁判所の審理当時「商業オンライン・サービス業は1200万近い個人利用者を持っていた」という)。それ故、双方向的コンピュータ・サービス業を通じて伝達される情報量は膨大である。そのような大量の言論の分野において不法行為責任という亡霊は、明らかに冷水を浴びせるような効果を持ったであろう。サービス・プロバイダーが何百万という投稿を一つ一つ選別して、問題になりそうなものを探すことは不可能であろう。双方向的コンピュータ・サービス業が、再公表するメッセージの一つ一つに対する責任の可能性と直面するとすれば、プロバイダーは投稿されるメッセージの数と型を厳重に制限することを選ぶかもしれない。連邦議会は巻き込まれる言論の利益の重さを考慮して、そのような制限の効果を避けるために、サービス・プロバイダーを免責することを選んだのである。230条のもう一つの重要な目的は、サービス・プロバイダーにそのサービスを通じて、不快なマテリアルの散布の自己規制を奨励することであった。この点で、230条はニュー・ヨーク州判例Stratton Oakmont, Inc. v. Prodigy Servs. Co., 1995 WL 323710 (N.Y. Sup. Ct. May 24,1995)に応えるものであった。同事件において原告は、AOLのような双方向的コンピュータ・サービス業であるProdigyを、Prodigyの掲示板の1つで氏名不詳の人物が行った名誉毀損的コメントに対して訴えた。同裁判所はProdigyに、名誉毀損的発言の原発行者に通常適用される厳格責任基準を課し、通常頒布者(distributors)のために留保されている、もっと低い「認識(knowledge)」基準に問われるだけでよいというProdigyの主張を退けた。同裁判所の理由づけでは、Prodigyは頒布者というよりはむしろ原発行者のように行動した、何故なら、1つには自分のサービス上でコンテンツのコントロールをする慣行の広告をしたこと、もう1つは掲示板に投稿されるメッセージを積極的に選別し、編集したからであった。連邦議会は230条を制定して、Stratton Oakmont判決によって生じた自己規制をする意欲の阻害を除こうとした。同裁判所の判断では、自分のサービス上で不快なマテリアルの散布を規制するコンピュータ・サービス・プロバイダーは、責任を課せられる危険を冒したのである。何故なら、そのような規制はサービス・プロバイダーに発行者の役割を演じさせるものだからである。それ故、責任という妖怪がサービス・プロバイダーによる不快なマテリアルの遮断と選別を抑止することになるのを恐れて、連邦議会は広範な免責を定め、「両親が好ましからざる、または不適当なオンライン・マテリアルに、その子供たちがアクセスするのを制限できるようにする、遮断と濾過技術の開発と利用に対する意欲の阻害を除こうとした」。47 U.S.C.§230(b)(4)。この目的に沿って、230条はサービス・プロバイダーに、その編集と自己規制機能の行使に対して、発行者としての責任を課すことを禁じている。
しかしながら、Zeranは230条の免責は発行者の責任のみを免責するが、頒布者の責任はそのままにしていると主張する。発行者は、その著作物中に名誉毀損的陳述が含まれていることを特定的に認識していたという証拠がなくても、その陳述に対して責任を問われ得る。W. Page Keeton et al., Prosser and Keeton on the Law of Torts §113, at 810 (5th ed. 1984)。Zeranによれば、AOLのような双方向的コンピュータ・サービス・プロバイダーは、そうではなくて、伝統的新聞販売者または書籍販売者のような頒布者と通常考えられる。頒布者は、少なくとも、責任の根拠となる名誉毀損的陳述を現実に知っていたことが証明されない限り、彼らが頒布するマテリアルの中に含まれている名誉毀損的陳述に対しては、責任を問われ得ない。同上 at 811(頒布者は、「公表されたものに含まれている名誉毀損的なものの存在を知り、または知ることができたという証拠がなければ」責任はない、と説明する)。ZeranはAOLに、同社の掲示板に現れている名誉毀損的陳述について十分な通知をした、と主張する。Zeranは、この通知は重要である、何故ならAOLは、それが名誉毀損的陳述の存在の認識を得た場合に限って、頒布者として責任を問われ得たのだから、という。
この2つの責任の形式間の相違があるため、Zeranは「頒布者」という語が「発行者」という語とは、法的に別個の意味を持つと主張する。それ故、Zeranは230条に連邦議会が「発行者」という語のみを用いていることは、サービス・プロバイダーについて発行者としての責任のみを免除しようという目的を表していると主張する。彼は、頒布者が230条によって保護を受けないままであり、従って、彼の訴訟はAOLに対して進行することを許されるべきであると主張する。当裁判所は賛成しない。仮にZeranが頒布者に責任を課す要件を満たしたとしても、この責任理論は発行者責任の下位概念、または一種にすぎず、従って、同様に230条によって排除されている。
「発行者」および「頒布者」という語は、名誉毀損の法の文脈からその法的意義が引出される。Zeranは、彼の請求を過失の請求として巧みに述べようとするけれども、それらはありふれた型の名誉毀損訴訟と区別がつかないものである。陳述の発表が名誉毀損訴訟の必要要素である故に、公表する者だけにこの種の不法行為責任を課すことができる。Restatement (Second) of Torts §558(b)(1977); Keeton et al., Supra, §113, at 802。公表は或る情報を含めるという著作者の選択を表すだけではない。さらに、名誉毀損的陳述の過失のある伝達、および別の当事者から最初に伝達された時、そのような陳述を除去しないこと--それぞれ過失のレッテルをつけて本件でZeranが主張しているが-は公表を構成する。Restatement (Second) OF Torts §577;次も参照、Tacket v. General Motors Corp., 836 F.2d 1042, 1046-47(7th Cir.1987)。事実、名誉毀損的陳述の反復がある度に、公表ありと考えられる。Keeton et al., supra, §113, at 799。
本件においてAOLは、法律上発行者と考えられる。「公表に参加する者は誰でも…発行者の責を負う」。同上。頒布者でも、名誉毀損法上発行者と考えられる。著作物、発言、および他人の収集した情報を散布するために、自分の設備を利用させる業務を営む者も、書籍、新聞、雑誌、および情報を他人に利用させることに、発行者と同程度に参加すると認められる。彼らは意図的にそのコンテンツを他人に利用させ、時にはそのコンテンツのすべてを知っているとは限らないし、--それには名誉毀損的コンテンツも含まれるが--また時には名誉毀損的なものが公表されるものの中に含まれることになるのを、予め確かめる機会がないこともある。同上 at 803。AOLは発行者のこの伝統的定義にぴったり該当し、それ故、明らかに230条の免責によって保護される。
Zeranは、Stratton Oakmont事件およびCubby, Inc. v. CompuServe Inc., 776 F. Supp. 135(S.D.N.Y.1991)事件のような判決は、発行者と頒布者の法的区別を認めている、と主張する。しかしながら、彼は本件で考察されている法的争点に対するその区別の意義を誤解している。単なる導管、すなわち頒布者が、異なる責任基準に従うことは疑いもなく正しい。上に説明したように、頒布者は責任の前提条件として、少なくとも名誉毀損的陳述の存在を認識していなければならない。しかしこの区別は、関係する特定の発行者のタイプ次第で、もっと大きな発行者の範疇の中で、異なる責任基準が適用されることもあるということを意味するにすぎない。参照、Keeton et al., supra, §113, at 799-800(関係各当事者は、法的責任の程度は異なるが、公表の責を問われると説明する)。Stratton事件やCubby事件のような判決が、「発行者」と「頒布者」の語を別々に用いている限度において、それらの判決は2つの異なる責任基準を正しく記述している。しかしながら、Stratton判決およびCubby判決は、頒布者も名誉毀損法上一種の発行者ではないことを暗示してはいない。
Zeranは単に、頒布者の責任における明確な認識要素の存在に、過大な重要性を付与するにすぎない。認識という単純な事実は、法的見地から原発行者を頒布者に変換できないことは確かである。その反対に、一旦コンピュータ・サービス・プロバイダーが名誉毀損的投稿になりそうなものの通知を受けると、それは伝統的発行者の役割の中に押し込まれる。コンピュータ・サービス・プロバイダーは、その投稿の公表、編集、撤回のいずれをするかを決定しなければならない。この点でZeranは、230条が特定的に責任を禁止している役割--すなわち、発行者の役割--を演じたことに対して、AOLに責任を課そうとしている。
Zeranの訴状はAOLを発行者として扱っているという当裁判所の見方は、AOLが不快なメッセージを当初投稿した当事者と同じ立場におかれていることから、一層強められている。Zeranの論理によれば、AOLには法的過失がある、何故ならAOLは名誉毀損的と主張される陳述を第三者に伝達したからである。これはまさに、不快なメッセージを最初に投稿した者に責任を負わせる理論である。もし最初の当事者が不快なメッセージの発行者と考えられるならば、ZeranがAOLもまたその陳述の発行者として扱われなければならないと認めなくては、同じ理論の下でAOLに責任を負わせることができないのは確かである。
Zeranは次いで、230条がサービス・プロバイダーで、自分のサービス上の名誉毀損的コンテンツの認識のある者に責任を負わせると解釈することは、PartUAで略述された同法の目的と矛盾しないと主張する。しかしZeranは、双方向的コンピュータ・サービスという事実関係の中で、認識責任(notice liability)の実際的意味を理解していない。認識に基づく責任は、CDA 230条の勧める2つの目的を挫くことになろう。Stratton Oakmont事件の裁判所が課した厳格責任のように、認識に基づく責任はサービス・プロバイダーが言論を制限し、自己規制を控える誘因を強化するものである。
もし仮にコンピュータ・サービス・プロバイダーが頒布者の責任を課されるとするならば、彼らは何らかのメッセージに関して、名誉毀損の恐れのある陳述の通知を誰かから受ける度に、責任の可能性に直面することになろう。通知のある度に、投稿された情報をとりまく事情の入念だが迅速な調査、その情報の名誉毀損的性格に関する法的判断、およびその情報の公表を続けて許すことによって責任の危険を冒すかどうかの、その場での編集的判断が必要になるであろう。このことは、伝統的な印刷物発行者にはできるかもしれないだろうが、双方向的コンピュータ・サービス上の投稿の数だけからも、インターネットの事実関係の中では不可能な負担を生むことになろう。比較、Auvil v. CBS 60 Minutes, 800 F.Supp.928, 931 (E.D.Wash.1992)(ネットワーク関係者が「伝達されてくる情報を監視し、その場で裁量的処置をすることは」現実的ではないと認める)。サービス・プロバイダーは、情報の公表に対してのみ責任を課され、その除去に対してではないのだから、彼らはコンテンツが名誉毀損的であると否とを問わず、通知があり次第、単にメッセージを除去するという自然な誘因を持つであろう。参照、Philadelphia Newspapers, Inc. v. Hepps, 475 U.S.767, 777 (1986)(不当な責任の恐怖が、修正第1条の言論の保護に反する冷却的効果を生ずることを認める)。故に、厳格責任と同様に、認識に基づく責任は、インターネット上の言論の自由に対して冷却的効果を有する。
同様に、認識に基づく責任は、サービス・プロバイダーが自分のサービス上の不快なマテリアルの散布の規制を抑止することになろう。サービス・プロバイダーが自分のサービス上に投稿されたマテリアルを調査し選別する努力は、名誉毀損の恐れのあるマテリアルをより頻繁に認識する結果となり、それによって、もっと強い責任の基礎を生む結果になるばかりであろう。これ以上訴訟の可能性に身を置く代わりに、サービス・プロバイダーは恐らく自己規制の試みを回避するであろう。
もっと一般的に、双方向的コンピュータ・サービス・プロバイダーに認識に基づく責任を課すことは、第三者に将来の出訴の根拠を作る無料の手段を与えることになろう。誰かが双方向的コンピュータ・サービス上で行われた他の当事者の言論に立腹する時は何時でも、立腹した者はただ関係サービス・プロバイダーに単に「通知」をすれば、その情報は法的に名誉毀損的であると主張できることになろう。双方向的コンピュータ・サービスを通じて伝達される大量の言論を見れば、このような通知はサービス・プロバイダーにとって不可能な負担を課すことになりかねない。何故なら彼らは問題になる言論を禁止するか、または負いきれない責任を負担するかの選択に不断に直面することになるであろうからである。頒布者の責任がインターネット上の言論の活力とサービス・プロバイダーの自己規制とに及ぼすであろう効果は、230条の制定法上の目的と正面衝突するものであるから、連邦議会が認識に基づく責任を変えずにおく意図であったとは考えない。
Zeranは最後に、連邦議会がその争点を直接取り上げていない限り、コモン・ローの原則維持を可とする解釈規範によれば、本件で230条の免責条項の限定的解釈を可とする、と主張する。参照、United States v. Texas, 507 U.S. 529, 534 (1993)。この解釈規範は当裁判所を説得して、異なる結果に導かない。本件では連邦議会は実際その争点を直接取り上げて、「発行者」という法的に意味のある語を用いている。この語は伝統的に頒布者も元々の(original)発行者も同様に含めてきたものである。
Zeranが引用する判例、United States v. Texas事件もまた、法の目的が反対であることが明らかである場合には、コモン・ロー原則の廃止が適切であることを認めていた。同上。このことは最高裁判所が、裁判所はその解釈規範の適用に熱心すぎないように以前注意したことと矛盾しない:
たとえ仮に、本件が連邦法を制定以前の事象に適用することに関する事件であるとしても、連邦最高裁判所のLandgraf事件の枠組みは、それにもかかわらず、230条をZeranの請求に適用することを必要とするであろう。Landgraf事件は、まず「連邦議会が明示的に制定法の本来の適用範囲を定めたかどうかを決定すること」を指示する。Landgraf v. USI Film Prods., 511 U.S. 244,280 (1994)。本件はこの第一段階で解決できる。230(d)(3)条において連邦議会は、同法がその請求の基となった関連行為が何時発生したかには関係なく、同法施行日以後提起された訴えに適用させるというその意図を明白に表明している。他の控訴裁判所も同様の制定法の文言を解釈して、関係制定法が同法で特定された条件の下で、新しい訴訟を禁止するように適用させるという連邦議会の意図を明瞭に表しているとした。参照、Wright v. Morris, 111 F.3d 414, 418(6th Cir.1997)(「如何なる訴訟も提起されてはならない…」42 U.S.C.§1997e(a)という文言を「新しい訴訟の提起を明示的に規制する」と判示)、cert. denied, 1997 WL 275340 (U.S.Oct.6, 1997); Abdul-Wadood v. Nathan, 91 F.3d 1023, 1025 (7th Cir.1996)(「如何なる場合も囚人は、民事訴訟を提起し、または判決に対して上訴してはならない…」28 U.S.C.§1915(g)という文言を、新しい訴訟を提起し、または新しい上訴の提起を定めると判示)。
仮に当裁判所が230(d)(3)条のように明白な指示が、連邦議会の意図に関して不明確と認めることがあれば、当裁判所は新しい、明白すぎる程の記述の条件を、制定法の遡及効を与えるために宣言することとなろう。そのような法学的転換は賢明ではないし、最高裁判所のLandgraf事件における訓戒に反することになろう:
最後に、すでに完了された行為に新しい責任を課す法律と、訴訟者に裁判所へのアクセスを定める制定法との間には重大な違いがある。例えば、諸裁判所は裁判所の管轄権を制限する中間的制定法を適用することがよくある。参照、Landgraf,
511 U.S. at 274。230条はZeranに新しい責任を課すものでもなく、また以前の法の下に取得された権利を奪うものでもない。如何なる者も非確定的不法行為判決に対する既得権を有しないし、ましてや未提出の不法行為請求権を有しない。Hammond
v. United States, 786 F.2d 8, 12(1st Cir.1986)。さらに、Zeranは230条制定以前の法律に基づいて提起した訴訟を指し示すこともできない。230条は不当な遡及効をもつものではないから、連邦議会からの明示的な指示がない場合、制定法の遡及を認めない推定さえも、本件ではZeranの助けにはならない。
原審支持。
脚注
[注1]
ZeranはAOLがそのユーザーの適切な記録を維持しなかったために、原当事者を確認することを不可能にしたと主張する。AOLの記録保持の慣行の問題は、この控訴では提出されなかった。
[注2]
230条は「双方向的コンピュータ・サービス」を「複数のユーザーによるコンピュータ・サーバーへのコンピュータ・アクセスを提供し、または可能にする情報サービス、システムまたはアクセス・ソフトウェア・プロバイダーであって、特にインターネットおよび図書館または教育機関が作動させるシステムまたは提供するサービスへのアクセスを与えるサービスまたはシステムを含む」と定義する。47
U.S.C.§230(e)(2)。「情報コンテンツ・プロバイダー」という語は、「インターネットまたはその他の双方向的コンピュータ・サービスを通じて提供される情報の、創造または開発に全面的または部分的に責任のある個人または団体」と定義される。同上、§230(e)(3)。両当事者は、AOLがCDAの「双方向的コンピュータ・サービス」の定義に該当すること、および氏名不詳の第三者で本件で不快なメッセージを投稿した者が「情報コンテンツ・プロバイダー」の定義に該当することも、争っていない。